Original:04.2.28
Update:
グランドセイコークロノメーター25石
ファーストモデル Cal.3180 |
1960年12月に生まれたグランドセイコー。
大卒の初任給が平均で1万4000円という時代に、2万5000円で 店頭に並べられたその時計は、誰もが買える価格ではありませんでしたが、 多くのファンを獲得しました。それから40余年。 (2001年版グランドセイコー商品カタログより引用) |
ある程度の年令の紳士(40歳前後と仮定)が、ある程度の予算(20〜50万円と仮定)があって「高級腕時計でも買ってみようかな」と思いました。(と仮定しましょう。)
国産高級腕時計であれば「グランドセイコー」、「クレドール」、「ザ・シチズン」のブランドが、スイス物では「ローレックス」、「オメガ」、「ロンジン」などが先ず候補に挙がると思われます。
ちょっと時計に詳しい方なら「IWC(インター)」や「ジャガールクルト」、や「フランク・ミュラー」などを挙げられるでしょう。
宝飾系がお好みの方なら「カルティエ」、「ブルガリ」、「ボーム&マルシエ」などを挙げられるでしょうし、クロノグラフがお好きな方は「エルプリメロ」を搭載した「ゼニス」や、「ブライトリング」、「ジラールペルゴ」は如何でしょうか?。
日本人の「舶来崇拝主義」は、今に始まったことではありませんが、『国産時計に30万円も出すんだったら、ロレックスのデイトジャストを買った方が絶対マシじゃん!。』とおっしゃる方も多い様です。
時計業界に携わっておられるプロの時計師の方の中にも「国産嫌い」の方はいらっしやるようで、国産腕時計ブームだった1990年代中頃、某時計雑誌に「グランドセイコーについて」という記事が掲載されていました。
最近もアンティークウォッチの素晴らしい著書を出していらっしゃる、高名なショップT堂の店主K氏のコメント。
ここ数年来、異常とも思えるグランドセイコーブームで価格も高騰し、遂にパテックを超える物も現れている。 現在の日本の時計メーカーは会社の規模では世界1、2位を占めており、クォーツに関してはスイスの一流品と肩を並べている。 しかし技術者の立場から言えば、初代グランドセイコーはマーベル、クラウンの機械のメッキの仕上げを良くし、人工の石を数石増やし、精度の調整を念入りに行い、ケースや文字盤に少しお金をかけたモノであった。 後の自動巻グランドセイコーも元を正せば62マチック、61マチック、56ロードマチックで、当時8000円〜1万1000円の時計に上記の手が加えられ、ステンレスケースで3万8000円〜4万8000円で売られていた。 精度は向上したが耐久性はベースとなった時計と変わらなかった。裏ぶたの金色の飾りも数年で色あせるものも出てきた。 オメガ、ハミルトン級以上の欧米の高級時計をメジャーリーグに例えるなら、当時の日本の時計は大衆時計であり、高校野球のようなものであり、同じ土俵で論ずるのは誤りである。 |
ほぉ〜、高校野球ですか...。(^^;)
「メジャーリーグ」と「高校野球」に例えておいて「同じ土俵」っちゅうのも如何な物かと...氏のユーモア・センスが光っていますね!。「横綱」と「学生相撲」と比較して頂きたかったですネ。(^-^;)
まぁ、長年、舶来高級腕時計を扱っていらっしゃるプロの時計師様がおっしゃるのですから、機械の出来も、歴史的背景も国産品は劣るのでございましょう。
確かに、ご指摘の通り、歴代のグランドセイコーの機械は、当時の実績ある量産型機械を改良し、別製造ラインで、専属スタッフが「特別調整」を施したものでございます。
現在市販されている最新の機械式グランドセイコー製品でさえ、過去のキャリバーの延長線上に位置する機械です。
基礎キャリバー(Cal.No)
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クロノメーター並級、優秀級(製造年)(注)
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グランドセイコー級(製造年)
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クラウン(560) | グランドセイコークロノメーター(1960) クラウンスペシャル(1961) グランドセイコーセルフデーター(1963) |
57グランドセイコーカレンダー(1966) |
クロノス(54) | クロノススペシャル(1962) キングセイコー(1961) キングセイコークロノメーター(1964) |
44グランドセイコー(1966) |
セイコーマチック(6218) | ライナークロノメーター(1963) セイコーマチッククロノメーター(1966) |
62グランドセイコー(1966) |
45キングセイコー(45) | 45キングセイコー(1968) 45キングセイコークロノメーター(1969) 45ニューシャテル天文台クロノメーター(1969) |
45グランドセイコー(1968) 45グランドセイコーVFA(1969) |
61ファイブ(6106) |
該当なし
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61グランドセイコー(1968) 61グランドセイコースペシャル(1970) 61グランドセイコーVFA(1972) |
ロードマチック(5601) | 56キングセイコー(1968) 56キングセイコークロノメーター(1969) |
56グランドセイコー(1970) |
(注):クロノメーター検定について
1966年までは、クロノメーター基準による社内検定(セイコー自社)を実施したため、精度をメーカが保証するという点では問題なかったが、クロノメーター「相当」級でしかなかった。
1966年後半にクロノメーター優秀級より厳しい「グランドセイコー検定基準」をセイコーが独自に制定。
上記を受け、当時の最高級品群は「CHRONOMETER」の表記を止め、グランドセイコー(GS)に表記を統一した。
1968年以降は、公的な検定機関である「日本クロノメーター検定協会」が設立され、検定を実施。これで晴れて正式なクロノメーター認定となったが、グランドセイコーがこの機関による検定を受けることは無かった。
何故「クロノメーター」の表記を止めたのか?→詳細は「62グランドセイコーのページ」を参照下さい。
さて、ここで注目していただきたいのは「45系キャリバーのみが全くの新設計の専用機械として製作された」と市販の国産ヴィンテージの教科書には記述が有りますが.....。
実は、当時の第二精工舎亀戸工場では、44系キャリバーをベースに、高振動化(HI-BEAT)の試作機が製作されていたのです。4420Aグランドセイコーの20振動、4402キングセイコーセルフデーターの10振動機などです。(その貴重〜な画像をBQさんの博物館で見ることができます。)しかし、44系の基本設計のままでは、天輪の形状や部品の強度等に問題が有ったのでしょうか?44キャリバーベースでの高振動製品化は断念された様です。45キャリバーもよく見ると、テンプ受けの形状に44系の面影が見えるようです。
「45キャリバー」は、亀戸技術陣の手巻きキャリバーにおける執念の結晶なのでしょう。
ニューシャテル天文台クロノメーター試験に合格するなど、飛び抜けた性能を誇る素晴らしい機械であり、国産びいきの某CMW時計師の方など「歴代セイコー機械式腕時計の最高傑作」と絶賛されています。
また一方では、ハイビート機特有の高トルクゼンマイの反動による香箱(ゼンマイが格納されている部品)車の「歯」の破損が発生することがあり「設計上の欠陥」と指摘される方もいらっしやいます。
メーカーのセイコーも、これを認めたのか??近年になって香箱車の純正部品が再生産され、現在も入手可能です。
日付付きモデル(4502、4522)に搭載された「瞬間日送り機構」も、クセのある仕組みだったようです。
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クラウンベースの初代グランドセイコー
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セイコーマチックベースのグランドセイコー初の自動巻:62グランドセイコー
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話は戻りますが、腕時計に限らず他の工業製品でも、時代を画するような製品が全くの新設計から、突然変異のように出現することは過去の歴史を振り返ってみても少ないと思われます。
技術の発展は常にベースとなる基礎技術、製品の上に成り立っています。
その典型的な例を鉄道車両の発展で見てみましょう。
新性能電車と呼ばれている国鉄車両群の発展は、昭和33年の試作車モハ90(後のモハ101系直流通勤型電車)から始まり、こだま型特急(151系)を経て、世界最高速(当時)の新幹線電車(0系)へと到達するのです。
外 観
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新幹線電車に繋がる新技術、装備など
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モハ90系直流通勤型 (画像は101系) |
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・全電動車(オール・モハ)編成。 ・1台の制御装置で2両(8個)分のモータを制御するM'Mユニット方式。 ・全金属構造の軽量車体で片側4ケ所両開き扉。 ・外装色をカラフルな朱色1号(バーミリオン)の一色塗りとした。 ・高速小型軽量モーターの出力増大による高加速・高減速。 ・多段式制御器による粘着と乗り心地の向上。 ・中空軸平行カルダン駆動方式の台車。 ・発電ブレーキ、電磁直通空気ブレーキの採用。 |
151系こだま型
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・高速用空気バネ台車。 ・ユニットクーラー搭載の防音モノコック構造低重心車体。 ・列車位置表示装置。 ・連結部の外幌。 ・背起こし式回転腰掛け。 ・列車無線、列車電話。 ・冷蔵庫、電子レンジ搭載の食堂車。 |
東海道新幹線の軌道、電気、信号システム、施設や車両技術は、従来の実績ある技術を昇華させたものであり、全てが信頼性の高いものでした。
その技術的裏付けがあったからこそ、昭和34年4月に計画されてから昭和39年10月の開業までの短期間に東京〜大阪間3時間の大プロジェクトが実現できたのです。
(もっとも、広軌採用構想や戦前の弾丸列車計画のための用地買収、新丹名トンネル掘削工事等、戦前からの布石はありました。)
初代「0系」と呼ばれる新幹線電車も、その後2階建て車両の「100系」東北新幹線用の「200系」と順調に発展して行くわけですが、その中で、1992(平成4)年3月ダイヤ改正で登場した「300系(のぞみ)」だけは「初期故障」と言われるトラブルが続出し、270Km/h運転に対する不安の声も挙がり、一時期社会問題となったことは記憶に新しいものです。
新幹線車両:左から「300系のぞみ」、「100系Newひかり」、「0系ひかり」
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この300系のぞみは、スピードアップが最大の「売り」であったのですが、そのため従来の新幹線電車の概念を破る「新設計」で製作されたということは案外重要視されていないようです。
300系のぞみの新機構
採用された新機構
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発生した初期不良
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車体構造
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ボディマウント構造のアルミ合金製車体。(大幅な軽量化) 100系で好評だった2階建て車両を敢えて採用せず。 860mm径車輪のボルスタレス台車。(低重心化) |
想定外の車体振動発生によるボルトのゆるみ、機器の落下。 車体変形によるガラスのヒビ割れ。 |
電動車比率
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従来のオールM編成(全電動車)から附随車を導入。 (大幅な軽量化) |
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制御機構
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GTO素子を使ったVVVFインバータ制御装置の交流電動機、 交流回生ブレーキ。 |
新開発の制御ソフトウェアの不具合(プログラムバグ)。 |
鉄道好きの私も、300系のぞみが登場した当時、博多〜東京までの往復乗車しましたが、車体の揺れが大きくて乗り心地が悪く、VVVFインバータ制御特有の「ヒュイ〜ン」というモーター音が耳に付いたのを記憶しています。
新幹線電車で実用化された新技術は、その後の車両、軌道(スラヴ軌道)、架線(合成コンパウンドカテナリー)にフィードバックがなされました。
先の「45キャリバー」天文台クロノメーター規格に合格するための調整技術、ヒゲゼンマイの「内端曲線」なども準高級機の「ロードマーベル36000」にフィードバックされたそうです。
鉄道も好きな私としては、新幹線「300系のぞみ」と「45キャリバー」をダブらせてしまうのです。
1964年からセイコーはニューシャテル天文台コンクールに毎年出品していました。(当時は、技術誇示のためでもあった)
それまで、天文台コンクールには特別な専用キャリバーで出品されていましたが、1969年の量産型キャリバー4520Aでの合格こそ、その意義は大きかったのです。
4520天文台クロノメーター
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国産腕時計の歴史は、スイス時計産業に対して100年以上の後発メーカーとして、戦後、スイス腕時計のコピーから出発し、その後の天文台コンクールの腕時計部門入賞、クォーツ腕時計の開発、発売でスイスを抜き去るまでの約20年の間に種々雑多なものを生み出し、また、その多様性を好む傾向、量産品ながら高品質というのは、日本人の国民性だと思っています。
グランドセイコーは、今や「古き良き時代の日本人」になりつつある、それらの国民性が反映された腕時計だと思っています。